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「ブレードランナー 2049」(BLADE RUNNER 2049)

−アンドロイドの儚い夢−
2017年 米 ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督



封切られてすぐに行こうと思っていたのに、なかなか行かれずにいた本作。公開4週目にしてようやく観賞してきた。この続編を、昨今のリドリー・スコット自ら監督したりしないでよかったと思う。監督がドゥニ・ヴィルヌーヴで、主演がライアン・ゴスリングというのは、この続編的には正解だったような気がする。




前作が2019年の設定で、今回はその30年後の2049年のロサンゼルスが舞台だが、近未来の風景の荒涼度合いは益々極まっている。20世紀中に作られた近未来もののSFにおける近未来というのは、大体、21世紀初頭だったりするのだが、昔の人が思っていた程に現実の世界は近未来チックになってはいない。殊に前作の設定の2019年なんて、今現在からすると2年後だが、いくら色々と地球環境の悪化の脅威はあったとしても、2019年には、まだまだあんなダークな世界にはならないわけである。現実にはさほどでもないのに、人類はいつからバラ色の未来を夢見なくなったのか分からないが、環境の悪化した索漠たる近未来以外には、人はもう30年〜100年ぐらい先の未来のイメージが思い浮かばないのかもしれないなぁ、と、冒頭の、空飛ぶ車に乗ってロス郊外の見はるかす荒れ果てた土地に降りたつライアン・ゴスリングのKを見ながら思った。



Kは新型ネクサスで、寿命の制限がない型だ。そして限られた寿命の旧型のネクサスを見つけて「処分」することが彼に課された任務だ。KはLAPD所属のブレードランナーである。
…ということで、
私は、前作の「ブレードランナー」を見た時に些か謎に思っていたことがある。それは旧型ネクサスはわずか4年の命で、放っておいても数年で死んでしまうのに、なんで血眼になって追いかけて処分しなくてはならないんだろうか、という事である。短い寿命が終わる前に思い切った事をしでかしてしまわないように、という事かもしれないが、結局、前作のロイ(ルトガー・ハウアー)も極限までデッカード(ハリソン・フォード)を追い詰め、圧倒しながらも、自らのいまわの際に、ふいに彼の命を救い、哲学的な辞世の音葉を述べ、静かに停止したわけである。

Kは、旧型というだけで、自分の「同類」であるレプリカントを狩り立て、処分する仕事にほとほと疲れている。できるなら処分などしたくない。他に穏便な方法があるならそちらを取りたい。しかし、LAPDのバッヂを持つ彼ですら、一仕事終えて本部に戻ると、外で任務中に何らか異常が起きていないか、毎回イライラするようなチェックを受けなければならない身の上なのである…。
このレプリカント警官としてのKの悲哀が、物憂げな無表情のライアン・ゴスリングからじわりじわりと伝わってくる。彼よりもずっと劣っているような同僚が、自分が人間だというだけで、すれ違いざまKに「この人間もどきが」と罵声を浴びせる。毎度のことなのかKは無表情でやり過ごすが、その後の異常判定テストと、まるで洗車場の車のように激しく一瞬湯水を浴びせられてシャワータイムが終わる様子など、レプリカントがいかに優秀でも「人ではないもの」として差別を受ける存在なのだという事が描写される。



孤独なKが住む部屋は、前作でデッカードが住んでいたのと同じような室内装飾の部屋だ。そこでKは立体ホログラフィの疑似恋人ジョイのスイッチを入れ、空間に現れた、肉体を持たない幻のような彼女と会話をする。ジョイも、本作でタイレル社にかわってレプリカントを製造しているウォレス社の製品である。ジョイは可憐で心優しく、孤独なKの心の隙間をいっとき埋めはするが、悲しいかな実体のない幻に過ぎない。アナ・デ・アルマス演じるジョイのキュートなキャラや姿は、もろに日本のオタク男子の理想の女性像そのものじゃないかしらん、と思った。こういう部分にも日本のオタク文化の海外への影響が看て取れるような気がするのはワタシだけだろうか。
音楽(あのヴァンゲリスの音楽のニュアンスをさくっとなぞったような感じ)も、近未来ロサンゼルスの街の様子も、前作のエッセンスを引き継いではみ出さないように作っていた本作だが、時代が2049年と進んで、前作にはなかった設定として、唯一といっていい目新しい存在はこの「立体ホログラフィ彼女」のジョイではなかろうかと思う。彼女が生身の娼婦をKの部屋に呼び、肉体を持たない自分を娼婦の体に同期させてKと交わるシーンには、儚いものの憐れを感じた。



人のやらない重労働や、人の嫌がる仕事、人の行かない遠い宇宙の果ての、過酷な環境での労働に従事させるために作られたレプリカント…。このレプリカントの「人間に奉仕するもの」としての設定は、オリジナル(本人)に臓器を提供するためだけに遺伝子操作で作られたクローン人間の悲哀と似ている。限りなく人に近く、人間より優れた能力を持ちながら人間より下に位置付けられ、差別されながらも業務に従事するレプリカント。そして、オリジナルの人間と全く変わらないのに、コピーだというだけで、ただ必要が生じた時に、生きたまま臓器を抜き取られる為だけの過酷なさだめを生きるクローン。両者とも、そんな目に遭いながらも、不滅でもなく、欠点が多く、特に取り柄もない「人間」(クローンの場合はオリジナル)に憧れてしまっているのが、一層物悲しいのである。
蛇足ながら誤解のないように書き添えておくと、クローン人間はこの映画に登場するわけではない。他の、クローン人間についての映画を見た時に感じた事を、この映画を見ていて思い出したのである。

Kの、「もしかしたら、俺は人間なのか。俺の持っている記憶は本物なのか。俺には人間の親がいるのか…」という切ないまでの希望と願望は、自分が何者かを知りたい、自分は人間でありたい、というKの根源的な欲求である。30年前に、レプリカントの女性が子供を産んだのかどうかの真偽を探る途上で、自分が夢の中で見た光景が実在することに気づいたKは、かすかな希望を確信に変えていくのだが…。



というわけで、これ以上は書かないのがお約束。ヨレヨレのオッさんになったデッカード(ハリソン・フォード)は、かなり後のほうで登場する。ただ、デッカードが登場するシーンで、ホログラフによるエルヴィスだの、モンローだの、シナトラだののベタな映像が次々に現れたのは些か興ざめというか、何の意図があったのか分からなかった。あのホテルが(多分)ラスベガスにあるという事を示唆するためかもしれないが、不要に感じた。時代的にも1960年代〜1970年代なんてブレードランナー的には古すぎるし。




ドゥニ・ヴィルヌーヴの作品はジェイクが出演している「複製された男」「プリズナーズ」に加えて、これで3本目なのだが、2017年現在、「ブレードランナー」の続編を撮るなら誰を監督にするか、といえば、やはりこの人が最もふさわしいのではないかと思う。

昔の映像の切り出しでショーン・ヤングのレイチェルも登場。レイチェルのダミーがデッカードの前に現れるシーンで、「レイチェルの眼はグリーンだ」とデッカードが言うのだが、そうだっけ?鳶色じゃなかったかな、と思ったりした。

潰れたタイレル社に代わってレプリカントを製造するウォレス社のウォレス博士を演じるジャレッド・レトも、あまり印象には残らないが無難に役をこなしていた。 そのウォレス博士の腹心の部下であるレプリカントのラヴを演じている女優は、どこかで見た顔だけど、何の映画か思い出せないまま映画館を出たが、あとで調べたら「鑑定士と顔のない依頼人」の依頼人の女性を演じていたシルヴィア・フークスだった。ふーん。映画によって随分イメージの変わる女優である。今回はかなり独特な顔つきに見えたが、役には合っていた。



LAPDでの、Kの女性上司にはロビン・ライト。彼女はすっかりこういうコワモテの女性がハマり役になってしまった観がある。きっと20年前にこの映画が作られていたら、上司役はシャーロット・ランプリングだったにちがいない。

主演のライアン・ゴスリングはバッチリのキャスティングだったと思う。上映時間も長いので、彼がKを演じていなかったら観に行ったかどうか分からないが、久々にゴスリングを映画館で見て満足した。



2時間43分は確かに長く、途中、お尻も痛くなったし、些か冗長な部分もあったので、館内の程よい温かさもあいまって、前半でワタシは一瞬、寝落ちしてしまったのだが、目が覚めてからはそれなりに面白く観たし、なによりあの前作の「続編」としてならばアリじゃないかな、と思える映画だった。今はまだ観て間もないので再見しようとは思わないが、少し時間がたったら、もう一度観てみたくなる映画だな、という気がしている。

コメント

  • 2017/12/01 (Fri) 14:58
    もう一度観てみたい

    kiki さんこんにちは.

    ボクは先月の頭に観てきました.
    前作がとても好きだっただけに、駄作だったらどうしようとほんの少しの不安を抱きながら (笑)

    やっぱり映画が長いですよね、いらない部分もあったように思います.
    まぁ映画自体はそれなりに面白かったので、観ている時はあまり長さを感じることもありませんでした.
    ただ前作が緊張感とスピード感があったのに対して、今回の映像はかなりゆったりしたイメージを受けました.
    きっと意図しているテーマの違いでしょうか.

    公式ページや You Tube で公開されている3本のショート・ムービーは必見ですよね.
    あれ観てないと、最初のおっさんだれ?になってしまうでしょうから.

    ジョイのセックス・シーンは "her/世界でひとつの彼女" と全く同じで思わず苦笑いでした.
    一番感動したのはレイチェルの登場場面、「おおおーーーーっ」って感じ.

    観終わって大拍手という感じではありませんでしたが、なぜかもう一度ゆっくり観てみたいなぁと思うような映画でした.

    • la belle epoque #aAIKTiXc
    • URL
    • 編集
  • 2017/12/02 (Sat) 13:51
    Re: もう一度観てみたい


    la_belle_epoqueさん こんにちは。
    そうなんですよね。前作があれだから、もしどうしようもない続編だったら蹴り入れものだな、と思いつつ見に行ったんですが、冗長ではあるにせよ、悪くなかったと思います。

    ワタシは2時間を過ぎたあたりからか、お尻が痛くなってきて何度も坐り直しました。やはり2時間を超えるときついですね。ゆったりとしたペースは意図的なものかもしれないし、独特の静かさはこの監督の持ち味だろうと思われます。

    ジョイのあのシーンは"her/世界でひとつの彼女" と丸かぶりだったんですね。でもまぁ、実態のない存在が実態のある存在と交わろうと思ったら、結局そのぐらいしか方法がないのかもですよね。ワタシは"her/世界でひとつの彼女" を途中で放り出してしまったので、そのシーンを見てないんですわ(笑)

    見終わると、それなりに面白かったけど、当分見なくていいや、と思うんだけど、暫く時間がたったらもう一度見てみよう、と思うだろうな、と思いますよね。ダイレクトにインパクトがあるんじゃなくて、静かにじわじわと忘れた頃にやってくる映画なのかもしれません。

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