
初めてこの展覧会のチラシをみた4月の初めぐらいから、開催をとても楽しみに待っていた「夏目漱石の美術世界展」。漱石の作品中に言及されている国内外の絵画から、同時代の画家の作品、そして、漱石の本の装丁や挿画、そして漱石本人の書画など、興味深い展示が盛り沢山で、これは行かずばなりますまい、という気分になる。 そんなわけで、上天気の休日に上野の芸大美術館へと足を運んだ。
谷中・根津・千駄木と言えば明治文学および明治文豪のホームグラウンドみたいなエリアだから、文京区と台東区が近接するあたりの芸大美術館での展示は、まことに漱石ゆかりの展覧会には、ふさわしい場所であるなぁという気がする。

上野の森

芸大といえば奏楽堂
今回の展示で、ワタシがとても楽しみにしていたのは、ジョン・エヴァレット・ミレイの「ロンドン塔幽閉の王子」、ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスの「人魚」および「シャロットの女」、黒田清輝の「赤き衣を着たる女」、そしてターナーの風景画だった。
ことに「ロンドン塔幽閉の王子」は、絵のサイズも想像した通りだったし、王子達の柔らかそうなブロンドの髪の質感や、兄弟の胸元の金細工の装飾品などが黒い衣装によく映えて、また実に細かいところまで丁寧に描かれているのをじっくりと眺めてきた。

この門を過ぎんとするものはいっさいの望みを捨てよ(「倫敦塔」より)
ふたりの少年王族が、暗いところに閉じ込められて不安そうな顔で茫然と立っている様子がポーズと表情で表現されている。兄は少年ながら父エドワード4世の後を継ぐ筈だったエドワード5世、弟はヨーク公リチャードである。が、エドワードは叔父であるグロスター伯リチャード(のちのリチャード3世)に王位を奪われ、戴冠式前に退位させられて弟と共に塔に幽閉される。二人のその後はどうなったのか正式な記録はないようだけれども、二度と陽の目は見られなかったに違いない。昔、最初に漱石の「倫敦塔」を読んだ時にも、まだ少年である王子たちが政争の犠牲になって塔に幽閉され、母親と一目会いたいと願っているが、その母は処刑されてしまうという場面は印象深かった。
ミレイではもう1点、有名なオフィーリアの絵が展示されていたが、これはイメージしていたよりもずっと小さな絵だったのが意外だった。前にどこかで見た時は、もうちょっと大きな絵だったんだけど…と思って出典目録を見たら、今回、ミレイの「オフィーリア」は来ていない。という事は、これは松岡映丘らの「草枕絵巻」の参考用のパネルだったか。ふふふ。ビックリした。
ミレイの「オフィーリア」は「草枕」の中で触れられている。

漱石の作品中に登場する英国の画家と絵画といえば、印象深いのは「坊ちゃん」のターナー(ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー)だろう。赤シャツが松山の風景をターナーの絵になぞらえるシーンがあり、常に軽薄な太鼓持ちの野だいこが、実にそのとおりです、と相槌をうつ。そういえば、ターナー島とか名付けられた小島があったんだったっけ。今回、そのターナーもしっかりと展示されてあった。大きな風景画でいかにもターナー、という感じだった。

ミレイやターナーの他に漱石がお好みだった画家にジョン・ウィリアム・ウォーターハウスがいる。この人は美しいニンフなどを描くのが得意で、人魚や妖精や伝説や物語の中の美しい女性や少女を印象的に描いている。今回の展示は「人魚」と「シャロットの女」で、前者は「三四郎」に、後者は「薤露行」に登場する。ワタシは一応、「三四郎」も読んだのだけど、遠い昔にあっさりと読み飛ばしたきりなので、三四郎と美禰子が額を寄せ合って画集を見て、二人同時に「人魚(マーメイド)」なんていうシーンがあった事などすっかりと忘れていた。でも、さすが漱石先生の青春小説。品があってそこはかとなく謎めいていて微かにエロティックである。美禰子の髪からは香水の香りがしている。香りは漱石にとって恋愛と切っても切り離せない濃密な結びつきを持っているようだ。「三四郎」も久々にちょこっと読み返してみようかしらん。

「人魚」
「シャロットの女」というのは、アーサー王伝説にちなんだテニスンの詩に登場する女性で、シャロットという島にある高い塔のてっぺんに呪いをかけられた美女が幽閉されている。鏡に映し出される外界が唯一、世界と彼女とを繋ぐものだったのだが、ある日、騎士ランスロットの姿を鏡で見て、彼に恋をした彼女は塔の外に出てしまう。呪いにより、鏡は横にひび割れ、外の世界に出た彼女には死が待っている。彼女は小船でキャメロットの岸辺に向うが、船上であえなく息絶える。「シャロットの女」は絵の題材としてロマンティックなので、様々な画家が描いているようだけれど、ウォーターハウスのものが有名で印象も強い。ウォーターハウスも、「シャロットの女」を題材に3枚の絵を描いている。

今回展示されていた「シャロットの女」はこれ

他にウォーターハウスの「シャロットの女」には、こういうのもある
展示は美術館3階と、地下2階に分かれていて、3階に展示されているのは、作品中で言及されている絵画。地下2階は同時代で親交のあった画家の作品や、漱石本人の書画という構成。3階を見終ったあと、エレベーターが遅いので地下2階には階段で降りようと展示室の外に出ると、建物の側面に大きな見晴らし窓の切ってある休憩室があるのに気づいた。地下の展示室に降りる前に、ここでベンチに座って一休みすることにした。天気のいい日に、日差しをあびた緑を眺めているのはとても気持ちがいい。

地下の展示、および3階の展示で目を惹いたのは、芸大卒の画家・樋口五葉がデザインした、漱石の本の装丁および挿図だった。昔の本は装丁が素敵なものが多いけれども、初版時の漱石の本は、ほとんどこの樋口五葉が装丁を担当していて、実に素敵な本に仕上がっている。「吾輩は猫である」の挿画、装丁は今見ても斬新だ。「虞美人草」や「それから」「道草」「彼岸過迄」「硝子戸の中」など、初版本の装丁はどれもこれも素晴らしく、復刻版が出たら(ちょっと高くても)買ってしまいそうである。

樋口五葉が手がけた漱石初版本の装丁
漱石の初版本の装丁を使って、ノートやブックカバーなど作ったらさぞオシャレだろうと思う。どこかで作らないだろうか。ミュージアム・ショップにそういうものはないかと思って見てみたが、そういう類のものは、「猫」の挿画をあしらったブックカバーだけだった。
でも、まぁ、そういうもの以外にも、ミュージアム・ショップには思わず欲しくなってしまうグッズがあれこれと置いてあり、オリジナルの付箋など、なかなか素敵だったのだけど、どうせ買っても勿体なくて使わずに袋に入れたまま持っているだけだしねぇ、などと思うと買うのがためらわれて、今回の展示にちなんだ絵葉書を沢山と、オリジナルの便箋や漱石先生の写真付きマグネットなどを買った。
地下2階の展示では、特に漱石作品とは関係ないけれども、漱石が批評の中で言及した画家の絵なども展示されていた。中でも、いかにも明治時代の名流夫人らしい、痩せ型の、着物姿にひさし髪の中年の女性が重厚な織物のカーテンの下がった応接間らしき部屋で窓辺の椅子に座っている姿を描いた「H夫人肖像」(和田英作)という絵が、なにやらとてもその時代の女性の雰囲気が出ている気がして、記憶に残った。
「それから」にちらりと登場する青木繁の「わだつみのいろこの宮」も展示されていたが、これも想像していたよりも小さな絵だった。…と思ったら、これは下絵。道理で色のつけ方が大雑把な箇所があったわけだわ。ワタシったら、迂闊なり。
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気になる絵画は何度も展示室内で戻って見たし、地下2階では初版本の装丁が印象深かったが、本の装丁に気を取られてさっぱり気づかずに、ふと振り向いたら、漱石先生のデスマスクも地下2階に展示されていた。石膏で取った型から作られたものだけに、睫なども非常にリアルに再現されていて、亡くなった直後の漱石先生の面差しがしっかりと伝わってくる。先生は意外に小顔で(というか、明治の人だから全体に小作りなんだろうけれども)、病み衰えて痩せているので、頬もそげ気味で顔も小さくなっていたのかもしれないが、面貌としては写真で見る通りの、日本人としては彫りの深い、口ひげの立派な、あの「夏目漱石」その人の顔だった。横からみると鼻には軽く段がついていた。先生の臨終の顔は、少し疲れて眠っているだけのように見えた。
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漱石作品中に登場した絵画を中心に、彼にまつわる画家の作品や初版本の装丁なども展示された今回の展覧会は、企画の勝利といおうか、実に見応えがあって充実した展覧会だった。
「それから」は好きで、何年かに一度は読み返す小説なのだけど、「三四郎」は大昔に一度読んだきりで、殆どラストの「迷羊(ストレイ・シープ)、迷羊とくり返した」以外は忘れているので、久々にもう一度読み返してみようかな、という気になった。